絵馬は1855(安政2)年、易国間出身で蝦夷地域で漁場を監督する「惣番人」や戸長を務めたとされる能登伊助(のと・いすけ)が奉納。和人とアイヌ民族が地引き網漁を行う様子が描かれており、研究者は「蝦夷地域の当時の様子を詳しく伝える史料。下北と蝦夷地域の密接な関係を象徴している」と語っている。

大石神社の絵馬は、北海道開拓記念館(現北海道博物館)学芸員で北海道美術史を研究していた林昇太郎さん(故人)の論考をまとめた書籍「アイヌ絵とその周辺」(2010年、故林昇太郎氏遺作論集刊行会編)で紹介されている。

同書によると、絵馬の大きさは飾り金具が施された漆塗りの額縁を含め縦約105センチ、横約165センチ。作者は幕末期、松前を中心に活動した絵師の早坂文嶺(はやさかぶんれい)。まげを結っている和人と散切り頭のアイヌ民族が地引き網漁を行う様子のほか、山や川、神社、アイヌの伝統家屋「チセ」、高床倉庫、クマおり、畑、まきの貯木場など集落の様子が丁寧に描かれている。

北海道博物館の学芸員・山田伸一さんは「和人とアイヌ民族の労働を描いたものはたくさんあるが、ある土地での当時の生活を詳細に伝えている点に価値を見いだせる」と絵馬を評価。描かれた具体的な場所の特定に向け調査を進めているとし「北方世界の人々の行き来を示す史料が、今もなお、北海道を望む場所にあることに意味があると思う」と語った。

絵馬の保護を目指し、風間浦村教育委員会は、本年度中にも村指定文化財とする考え。大石神社氏子総代長の能渡俊悦さんは「私たちの小さな村にも、能登伊助のような優れた先人がいたことなどが分かり喜ばしい。村内でも絵馬の存在を知らない人は多い。村の文化財になることで、きちんと保護しながら後世に伝えていければ」と期待している。

出典:Google二ュース