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大正天皇(1879~1926)が学習院初等科在学時に着用したとみられる「日本最古級の学生制服」が青森県弘前市内にあることが分かった。
制服史に詳しい日本大学商学部の刑部(おさかべ)芳則准教授(日本近代史)らが箱書きや服の特徴などから真正なものと確認した。学習院は1879(明治12)年、国内で初めて学生制服を制定。その草創期の数少ない原史料として注目される。これまで古い制服は複数確認されているものの、そのほとんどは冬服。この服は夏服とあって極めて珍しく、日本の服飾史上でも第一級の発見といえる。
制服を保管しているのは、同市の日本画家で、ねぷた絵師の八嶋龍仙さん(71)。2011年秋に手に入れた。服は白色の上下で、上着は丈45センチ、下の半ズボンは丈50センチ。
服が納まっていた桐の箱のふた表面には「今上陛下御幼時御衣」とある。裏面に記された来歴によると、この服は当時皇太子(明宮(はるのみや)嘉仁(よしひと)親王)だった大正天皇に「東宮武官」として付き従っていた陸軍歩兵大尉の長瀬良行という人物が、1889(明治22)~90(同23)年ごろに拝領した物で、大正天皇即位後で長瀬の死後の1915(大正4)年に、長瀬の弟が箱書きしている。
大正天皇は1887(明治20)年に「予備科五級乙」(初等学科2年)に入学しており、時期的な齟齬(そご)はない。当時、宮中で皇族が衣服や下着、写真などを折節の記念に下賜することは日常、一般的に行われていた。
今年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」で軍装や洋装の考証を手掛けた刑部准教授は「海軍式のサイドベンツ(上着背中両サイドの切れ込み)や、袖のライン、ズボンが半ズボンであることなど、学習院初等科の制服の特徴と一致する」と指摘。「古い冬服は割と残っているが、夏服は汗で、しみ、傷みが激しくなるため、ほとんどが捨てられていたと思われる。私は初めて見た」と驚く。
また、半ズボンに着けられた金ボタンに見られる「DAITAMI TOKIO」の浮き彫り文字からは、この服を手掛けたのは、銀座で「大民(だいたみ)」の屋号で営業していたことで知られる山岸民次郎であることが分かる。大民は宮内庁御用達の洋服店だったことが種々の記録に残っている。
「TOKIO」の表記が一般に明治末から大正にかけて「TOKYO」に変化していくことも、この服が古い年代のものであることを物語っている。
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