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青森市の「北洋硝子」 津軽びいどろは、郷土・青森の四季に根付いた色彩を見せる伝統工芸品のご紹介ですよ!
青森のものづくり津軽びいどろ 工匠の技の継承
ものづくりは、原料を配合する「色づくり」から始まる。多彩な色合いが楽しい「びいどろ」の工程を見ると、それがよく分かる。
色彩豊かな津軽びいどろの一輪挿し
「北洋硝子」の職人の作業風景
青森市の「北洋硝子」の作業場。職人たちが、るつぼの中で赤く溶けたガラスの生成に取り組んでいた。色は含有物で変わる。風鈴やグラス、花瓶など、身近なガラス製品でもある津軽びいどろは、郷土・青森の四季に根付いた色彩を見せる。春の桜、夏のねぶた、秋の紅葉、冬の雪景色。「ねぶたをイメージした配色は、毎年の山車のトレンドを反映しています」と工場長の中川洋之さん(54)が教えてくれた。作品を比べてみると、確かに前の年より最近の作品の方がカラフルな印象を受ける。「流行に応じて、技法も色彩も増やしてきました」
溶けたガラス種を成形する職人=青森市の北洋硝子で
津軽びーどろ「北洋硝子」のルーツ
同社のびいどろのルーツは1949年。漁業用の「浮き玉」製造だった。養殖棚の目印に使われ、陸奥湾のホタテ生産とともに成長。70年代には国内シェア1位となった。しかしその後はプラスチック製の浮き玉が普及したため、同社は徐々にそれまで培ったガラスの技術を生かした花器や食器の創作に挑み始めた。
津軽びいどろの強いこだわり
多彩な色の組み合わせには強いこだわりがある。青の曲線や水玉で海のうねりを表す「陸奥湾」、青と緑で「青森」など、ネーミングにも郷土への思いが表れる。七里長浜(つがる市)の砂を溶かすと、含有物の鉄分で澄んだ緑色のガラスになる。そんな地元の素材も生かしてきた。
「宙吹(ちゅうぶ)き」は、工匠の技で作られる最高級品
成形技術も多彩だ。伝統の「宙吹(ちゅうぶ)き」は、工匠の技で作られる最高級品。北洋硝子ではこうした伝統技術を磨く一方、販売価格を抑える技術の習得も進めた。今では100色以上の色合いと、9種類の成形技法を持っている。
「企業秘密」津軽びいどろ特有の複色のグラデーション
器としての機能向上も図った。手作りでは日本最初の耐熱ガラスだ。ホウ酸を含むと耐熱性は上がるとされるが、溶けにくく、手作りでの成形は困難。技術の難しさから同社はかつて、この成形を断念した。だが中川さんが9年ほど前に研究を再開。1年がかりで「企業秘密」の調合・溶融方法を確立し、その後、津軽びいどろ特有の複色のグラデーションを実現した。
「下町ロケット」(TBS系)で、主人公・佃航平の自宅の場面にも津軽びいどろが登場
これらの製品、1000円未満から数万円の価格帯をそろえる。全国展開の生活雑貨販売チェーン「ロフト」などで販売され、「売っていない都道府県はない」(中川さん)というほどの浸透ぶりだ。
実は、昨年話題となった連続ドラマ「下町ロケット」(TBS系)で、主人公・佃航平の自宅の場面にも津軽びいどろが登場している。
社員平均年齢、20代後半
北洋硝子では、10年ほど前から若手を積極的に採用し、社員約50人の平均年齢は20代後半。先輩の伝統工芸士らから今、確かな技術を受け継いでいる。
中川さんは話す。「10年目の子たちが今、各セクションのリーダー。この先の10年で、新しい色、技術、素材を生み出してくれると信じています」【佐藤裕太】=つづく
青森県の伝統工芸品に認定
「宙吹き」は紀元前1世紀ごろから受け継がれる技法。原料の砂を灼熱(しゃくねつ)で溶かし、吹きざおに巻き取り、息を吹き込みながら形を整える。
北洋硝子では1977年に浮き玉生産を中止し、花器・食器の製作へ移行。86年に「津軽びいどろ」の名称で売り出し、96年に青森県の伝統工芸品に認定された。現在は宙吹きのほか、金型を回転させ遠心力で仕上げる「スピン成形」や、金型に沿って息を吹き込む「型吹き」などさまざまな技巧がある。
出典:毎日新聞
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