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2017 夏の甲子園「青森山田」先発全員が青森県内出身 地元出身にシフト。
青森山田はかつて、県外の選手が中心のチームだった。青森大会で6年連続優勝するなど県内で圧倒的な強さを誇ったが、「グラウンドは関西弁」とも言われた。しかし、不祥事をきっかけに方針を変え、今年のチームは先発メンバーが全員、青森出身。8年ぶりに夏の甲子園に出場し、14日に1勝を挙げた。
同チームも甲子園の初戦は彦根東(滋賀)に6―2と快勝
兜森監督は「私を含めて田舎者ばっかり。この大観衆の中で、たくましく堂々とやってくれた」と笑顔だった。
確かに、伸び伸びとプレイしていた。この調子で勝ち進んでいってほしい。とゆうか全力プレイで悔いのない試合を心がけていけば結果はついてくる。はつらつプレーに応援!
青森山田 津軽弁が戻ってきた!
「いぢぃ、にぃ、さん、すぃ、ごぉ……」
今年のチームは練習前にいつも、津軽弁で数えながらストレッチをする。14日の試合前も、阪神甲子園球場の室内練習場で「いぢぃ、にぃ、さん、すぃ、ごぉ……」と発声したという。チーム内から笑いが出ることもあるが、「リラックスできる」と明かす。
捕手の福原朱理君(3年)が試合中、マウンドでエースの三上世視滝(せしる)君(同)に駆け寄る時は必ず「世視滝、きもづだ。きもづだはんで(気持ちだからな)」と言葉をかける。「お互い、津軽地方出身なので方言が自然と出ちゃいます」と笑う。
94人の部員のうち、約3分の2が青森出身。同校OBの三浦知克部長(45)、兜森崇朗(かぶともりたかあき)監督(38)も同じで、グラウンドでも津軽弁が多い。三浦部長が「昔は関西出身者が多く、『大阪山田』とも呼ばれた」と語るように、以前のチームとは雰囲気が大きく異なる。
転機となったのは2011年におきた不祥事から、新たに就任した三浦部長が県内の中学を回りながら、再建を始めた。
三浦部長は「県外でも地元でも、親元を離れて寮に入り、自分を飛躍させたい思いは同じ」と話す。だが、4年前に小4だった次男が「青森山田中学の子は、青森山田高校のグラウンドを使うこともあるんだって。すごいな」と話したことも忘れられない。「地元の子が、普通にグラウンドを使える環境を作ろうと思った」と振り返る。
捕手の福原朱理君(3年)は青森県田舎館村出身。「青森山田は県外出身者が多い」と、別の学校に行くつもりだった。しかし、方針の変更を知り、「地元代表として甲子園に出たい」と考えを変えた。念願の甲子園出場を果たし、今では「活躍して青森の野球のレベルを上げたい」と語る。
出典:朝日新聞
先発全員が青森県内の出身!待ち望んでいました。これが高校野球の原点だと思う。各県から代表をかけて戦う意義は地区代表として選抜された各、県内出身の野球チームであることが本来の甲子園大会ではないでしょうか。だから、それぞれ地元応援に力がはいるわけで、青森の場合、やはりインタビューにしろ津軽弁なまりを聞きたいと思うのが自然であり、楽しみでもある。県内出身のチームは何年振りかわかりません。過去の青森県代表はそんなには強くなかった。でも応援する気持ちは今もかわらない。津軽弁で堂々と戦ってほしい。けっぱれ青森山田!青森県民みんなが応援してるぞ!
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